きぬ や さ へい じ
絹屋佐平治
[森田治郎兵衛翁]
(峰山町)
| 江戸時代の享保(1700年代前半)に、丹後国峯山(現在の峰山町)の中町に、絹織物を織って暮らしている絹屋の佐平治という人がいた。 丹後では古くから絹織物を生産していたが、京都の西陣で織り出された「お召しちりめん」に押されて需要が伸び悩んでいた。 「ちりめん」は、織り上がった布の表面に「シボ」という小さいボツボツの織模様ができる織布で、高級品として大変人気が高いものであった。 佐平治は、このままでは丹後の織物がダメになると思い、西陣の織屋に奉公に行き、「お召しちりめん」の糸撚り機や織りの製造技術を得て、さらに独自に工夫を凝らして享保5年(1720)の春についに「ちりめん」を織り出すことに成功した。 それは西陣の「お召しちりめん」よりも厚手であり峯山独特の「丹後ちりめん」と呼ばれた。 「ちりめん」は、さざ波をうったような独特のクレープがある。 これは、撚(よ)りのない経(よこ)糸に、強く撚った(1mあたり3,000〜4,000回転)緯(たて)糸を織り、精錬して出来あがる。 微妙な凹凸に光が乱反射して、高貴な光沢としなやかな手触りが生まれ、重厚な味わいが出る。 佐平治は、この技術を地域の織屋に惜しげもなく教え、「丹後ちりめん」は京の人気を集めていった。 享保15年(1730)、時の藩主京極高長は、佐平治の功績を認めて「御召縮緬 ちりめんや」と紺地に白く染め抜いた暖簾を与え、褒めたたえた。 また、この時から名前を「森田治郎兵衛」と改めた。 延享元年(1744)死去。 現在でも10月31日の翁の命日には、お墓のある常立寺で慰霊祭が執り行われている。 |
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| 「丹後ちりめん始祖 森田治郎兵衛翁発祥の碑」 |
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| ちりめん | 織機をイメージしたKTR峰山駅 |
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