お の の こ まち
小野小町

(大宮町五十河)

写真「小野小町ブロンズ像」

九重の 花の都に 住みはせて はかなや我は 三重にかくるる

 この辞世の句を残して世を去った。
 小野小町は、809年、出羽の国・福富の荘桐の木田(現在の雄勝町小野字桐木田)に生まれた。
 13才の頃、都へのぼり、都の風習や教養を身につけました。
 平安時代を代表する六歌仙の一人で、絶世の美女だったといわれている。(六歌仙は他に、在原業平、僧正遍昭、大友黒主、喜撰法師、文屋康秀)

花の色は うつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに(小倉百人一首)

思いつつ 寝ればや人の 見えつらん 夢と知りせば 醒めざらましを

いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る

おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす 我はせきあへず たぎつせなれば

みるめなき 我が身をうらと 知らねばや かれなて海人の 足たゆく来る

色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

今はとて 我が身時雨に 降りぬれば 事のはさへに うつろひにけり

秋風に 逢ふたのみこそ 悲しけれ 我が身空しく なりぬと思へば

わびぬれば 身をうき草の 根をたえて さそふ水あらば いなんとぞ思ふ

人に逢わむ 月のなきには 思ひおきて 胸走り火に 心焼きけり

岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなむ

 数多くの男性から求婚されたが、なかでも熱心だったのが四位深草少将である。
 京都の山科には少将が小町のもとへ百夜通いしたという伝説も残っている。
 しかし小町は応じることなく、都を逃れて身をひそめるために丹後路をたどった。
 この途中に大宮町五十河の住人・上田勘兵衛と出会って旅を共にしたが、天橋立に向かうおりに腹痛を起こしてしまった。
 勘兵衛が背負って自分の屋敷に連れ帰ったものの、看病の甲斐なく彼女は世を去った。
 (五十河は代々小野一族の荘園であり、ここに移り住んで生涯を終えたという説もある。)

写真「小野小町塚」  小野小町のお墓。法号を小野妙性といい、
「小野妙性大姉」と刻まれている。
 近くに、小野小町を開基とした小野山妙性
寺が建てられている。
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