す  き  い みぞ
周枳井溝

(大宮町周枳)

■周枳井溝
 周枳村(現在の大宮町周枳)は、竹野川より土地が高く、谷も浅いため水が少なく、やむを得ず畑にしている農地が多くありました。
 「なんとか竹野川の上流から水が引けないものか」と言う農民たちの願いが、時の宮津藩の役人の耳に入り、藩主京極守高の時(1660年代)に竹野川から取水し、谷内から周枳に至る用水路づくりが始められました。
 工事は10年の歳月を費やし、寛文11年(1671)完成しました。
 周枳の人々はこの用水路のことを「井溝」と呼んで大切にしてきました。
 周枳の井溝は、近年コンクリート製の水路として整備され、その大部分は、国道バイパスや府営ほ場整備事業により水路の場所が変わっており、現在は、集落周辺にかつての水路の場所を認めることができます。
 集落周辺では、防火用水の水源となったり、「井溝」に洗い場が設けられ、野菜の洗浄などにも利用されています。

周枳井溝
周枳井溝
洗い場
洗い場
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